「正岡子規と美術」展

日曜日、いつものごとく何の予備知識も無く「正岡子規と美術」展へ行ってきた。

目的はそれではなく、ただ単に、

 横須賀美術館という建物を見たい
 少し遠くに行きたい
 海が見たい
 桜が見たい
 たくさん歩きたい

と、そんな理由だけで行ったら、たまたま「正岡子規と美術」がやっていたのだ。



正岡子規
本当にお恥ずかしながら、
「柿食えば〜」の人、病気を患っていて短命だった人、程度しか知らず、何にも考えずに軽い気持ちで入ったのだけど、展示を見終えて出る時は、えらく重い気持ちになってしまった。


それは、突然に正岡子規が病床で漱石に書いた画や手紙に出会ってしまったから。


・あづま菊


・ロンドンの漱石へ最後に書いた手紙(を勝手に抜粋)

僕ハモウダメニナッテシマッタ。
毎日訳モナクゴウキュウシテ居ルヨウナ次第ダ、手紙ハ一切廃止。
・・・・
僕ハ君ニ再会スルコトハデキヌト思ウ。
万一デキタトシテモソノ時ハ話モデキナクナッテルダロー。
実ハ僕ハ生キテイルノガ苦シイノダ。
・・・・
書キタイコトガ多イガ苦シイカラ許シテクレタマヘ。


夏目漱石は変わり者という印象が私の中にはあって、正岡子規という人もこれまたさらに変わり者なのだろうと思う。その二人の手紙のやり取りに心を打たれた。純粋な少年のまま大人になった人たちの相手を思う言葉のやり取り。

子規は結核で、あまりの激痛にモルヒネを打ち倒し、痛みがマシになった時には肘をついて(座る事もできない)画や文を描いたりしていたようだから、漱石への手紙はリアルでならなかった。
こんなにもプライベートを公開してもよいものかと思ったけど、これは最後の手紙に応えられなかった漱石の思いやりなのですね。
7年間、結核を患っての日々は想像を絶する。そして34歳という若さで他界。
正岡子規という人についてとても知りたくなったので、司馬遼太郎の時代小説「坂の上の雲」を読もうと思う。(まだ本は買ってないけど。)
根岸の子規庵にも行ってみたい。


それで、日曜日は2つ。

何がきっかけになるか分からない
自分を健康に生んでくれた親に感謝しよう

という事をしみじみ。